現在の会社にはおおむね満足していたつもりでしたが、「本当にこのままでいいのか?」という思いに駆られて転職エージェントと初回の面談をしました。
結果として、転職活動をいつでも始められるような準備はしつつもすぐに転職はしないという決断をしました。
その一方で、転職エージェントとの面談前後に言い様のない罪悪感や寂しさを感じました。
この記事では転職を考えたときに生まれた罪悪感や寂しさの理由を考えます。
罪悪感・寂しさを感じたタイミング
まずは罪悪感や寂しさを感じた状況を考えてみました。
タイミング1:転職エージェントに向かう道のり
会社を定時で上がって、まだ日が沈まない明るい中を転職エージェントのオフィスに向かう道のりが一番罪悪感を感じたタイミングでした。
定時退社でまだ外が明るいうちに帰路につくというのは普段ならこの上なく幸せで、テンションも上がるものです。
それなのにもう一仕事あることでテンションは下がるし、こんな幸せな日に重要な話をしに行くというギャップでも気が滅入りました。
また、同僚たちは私がこれから転職エージェントを訪問するとは知らずに「お疲れ様」「気を付けて」と声をかけて送り出してくれます。
どこかへ遊びに行くなり家でゆっくりするなりすると思われていると思うと、嘘をついているようでなんとなく後ろめたい気持ちもありました。
タイミング2:転職エージェントの応接室
転職エージェントのオフィス内にある応接室で担当者を待っている間も罪悪感や寂しさを感じました。
真っ白な壁の無味乾燥な応接室に慇懃なエージェントに案内され、会社員ではなく個人として訪問しているために名刺交換もしない。
こんな経験は初めてで、心細さとともに、引き返せないところに来てしまったという気分になりました。
なぜ罪悪感や寂しさを感じたのか
黙って相手の不利益になることを行っているということに対する、武士道精神的な道徳心の痛みが大きいと感じました。
いっそスポーツマンシップに則って「転職活動します」と宣言してから始めてしまえば、気持ち的にはすっきりするでしょうか。
それで待遇なり業務内容なり改善されるのであれば、むしろ建設的かとも思います。
(その反面、「あの人はいつでも辞める」というレッテル貼りは避けられませんが…。)
また、自分のキャリアの棚卸しをすると、なんだかんだいまの会社でいろんな思い出があったことが思い出されます。
人間というのは良くできていて、嬉しかったことはいつまでも覚えているものですが苦しかったことは喉元過ぎるとつい忘れてしまいます。
今の会社だからこそできた仕事もあったし、教えてもらったこともたくさんあった…と考えていると、いまさらながらに会社への愛着がわき、離れがたくなりました。
さらに転職活動は「会社員として」ではなく「個人として」行うため、後ろ盾を失ったような寄る辺なさも寂しさの原因だったと思います。
罪悪感や寂しさへの対処
感じてしまった罪悪感や寂しさは、無視してしまってはきっと後悔するものだと思います。
どうしてそう思うのか、その気持ちは本当に妥当なものなのか考えていくと結論が出るのではないでしょうか。
私の場合は現職への不満や不安よりもこれまでの良い思い出のほうが強く思い出され、加えていまの仕事が好きだという気持ちがはっきりしました。
そのため、転職を始められるように準備はしながらもいまの仕事を続けて、よりやりがいのある業務を求めていくという結論にたどり着きました。
仕事に求めることはお金なのか、成長なのか、安定なのか、やりがいなのか、自分が大切にしたいことを明らかにすることが転職活動には不可欠なのだとわかりました。